犬の病気を症状から診断する。- 椎間板ヘルニア –
年が明け、動物病院の診療が始まりました。年始の初日ですから、外来は少なめかな?などと思っていると、今朝まで空欄だったスケジュールがどんどんと埋まっていき、午前中だけでも大忙しになりました。
そして、手術も2件入り、その他に糖尿病のワンコのモニタリングや、異物を飲み込んだワンコの処置など、午後も時間いっぱいまで、バタバタとしていました。午後の外来は少なめではないかと予想していますが、どうでしょうかね。
食事を取らないワンコが来院しました。
病気になると食事を食べないワンコは少なくありません。
特に、いつもはどちらかというと食いしん坊の子ほど、何かあると食べないような印象があります。
この子に見られている症状は、
震える。
急に動かなくなった。
食べない。
と、いうことです。
どうぶつは自分で話をしませんので、ご家族の方を通してお話をすることになりますし、当然ですが、治療をするにしても、ご家族の同意を必要とします。
これは、すなわち、ご家族に納得していただく必要があるということです。
どうぶつが元気になればそれでヨシ、とはなることも多いですが、ならないこともあります。
例え、ちゃんと治っても、ご家族に満足していただけないこともなくはありません。
つまりは、ご家族の方に納得していただく必要がありますから、まずはご家族の方にわかるように客観的な根拠を積み重ねて行きながら診断まで持って行く必要があります。
まずは震えるということから、何を連想するでしょうか。
ご家族の方の中には、特にこの時期ですので、震えるどうぶつの姿を見られますと、まず寒いのではないだろうかと心配される方があります。
しかしながら、最近のこの寒空の下であっても、散歩中に震える犬がどれほどいるでしょうか。
おそらくは寒さで震えることは少ないことだとわかりますが、「震える」=「寒いから」となるのは、ヒトに置き換えて考えられるからだと思います。ヒトが震えるのは、寒い時が多いですから。
どうぶつの場合は、震えるのは痛い時ということが多いです。
このことをまずはご家族に理解していただく必要があります。
もちろん、獣医師としては、震えるのは痛い時以外にはないなどと考えてはいけませんから、他の可能性も考えなければなりません。
そして、ご家族の中には、半信半疑で質問をされることもあります。
痛いと鳴きませんか?というような質問です。
これもどうぶつを赤ちゃんや小さな子供に置き換えて考えていらっしゃるのだと思います。
しかし、大人の場合はどうでしょうか。
頭痛がする、腹痛がする大人の人で、他人にわかるように泣いて表現する方もあるとは思いますが、多くの方が、じっと黙してむしろ他人にはわからない場合が多いのではないでしょうか。
と、このような感じに、進めることもあります。
そうなりますと、どうぶつのお腹を触ったり、背中を触ったりしながら、痛みに対して返ってくる反応をご家族と一緒に確認することになります。
ここに痛みがありそうですよ。と、言いながら。
時に、それをレントゲン検査で確認する必要があります。
今回のワンコのご家族は、特別に質問もされませんでした。
これは椎間板ヘルニアの症状ですよ。
そうなんですね、と、そのまま検査と治療を行い、翌日に来院された時には、すっかり良くなりましたとご報告くださいました。
そしてその時には食欲も戻っていました。
いつから食事を摂るようになりましたか?とお尋ねすると、昨日はまだダメでしたが、今朝から食べるようになりましたということでした。
結果論ではありますが、椎間板ヘルニアの痛みが始まり、痛みから動くことが困難になり、また痛みから食欲が低下する。そのようなことが考えられました。
椎間板ヘルニアの好発年齢は2歳から6歳ですが、それ以上の高齢でもよく見ます。
お腹を触っても痛みから反応を返してくれることはありませんでしたが、背骨の脇を首から腰まで触っていきますと、イタタッと反応を返してくれました。
食欲は低下していましたが、嘔吐はなく、お腹も壊している様子はありません。
最後にレントゲン検査を行いましたが、目立った異常は見られませんでした。
これも大切なことで、症状が必ず検査結果に現れるわけではないこともお伝えします。
震え。これが痛みで起こることもあることを最後までご理解いただけなかったことがありました。もう5年以上も前になりますでしょうか。
お話の後に、熱だけ計って欲しいと言われ、体温計の表示から平熱ですよとお応えすると、それ以上の検査も治療も希望されませんでした。
僕にもう少しご家族にわかりやすいプレゼンテーションができれば、あのワンコは早くに楽になっただろうかなと思うことがあります。
懐かしく、苦い思い出を時々思い出しながら、ご家族の方とのお話には気をつけています。
結局、今日の午後も多くの外来がありました。
今年もまた慌ただしい、年の始まりでした。