日本橋動物病院だより

日本橋動物病院だより

遠くからのお知らせ

雪のクリスマスとの噂がありましたが、東京では雪は見られそうにありませんね。
しかしよいお天気の予報ですので、夜は冷え込みそうですね。

遠くからお知らせをいただきました。
ワンコの訃報でした。

ブログに載せるにあたりまして、どれくらいのことを書けば良いのか難しいくらいに、本当にいろいろなことがありました。

僕が獣医師になって2-3年目ほどのことです。
京都にいたころに出会い、そこで3年間ほど担当させていただき、そして僕が東京に移動して来る12年ほど前に最後に会ったきりで、ワンコとはそれ以来会う事が叶いませんでした。

ブログに載せるにあたりましては、守秘の面からもいつもは名前を出しませんが、今回は許していただけると信じまして、あえて思い入れのある呼び方で続けます。

そのワンコはウメちゃんといいます。

初めて会ったのは、真っ白なまだ柔らかな毛に包まれた、おおよそ5kgほどの子犬のころでした。
大型犬に分類されますので、大きくなりますと抱っこは困難ですが、その頃は基本的には抱っこでいろいろなことができました。治療も日常のケアも。

飼主さんとも当然にこのときが初めてでしたが、かなり深いお話をしなければならないことが多くありまして、一気に距離が短くなった気がしました。

少し脱線しますが、僕はもともと京都には縁もゆかりもありません。
本音で書きますと、関西というくくりでも京都というのは少し別の枠の中に入るようなそのような土地で、他からの新参者を警戒する雰囲気があるとされます。
そのような中、獣医師として仕事をはじめてまだ2-3年の僕は、この土地に方々に受け入れていただこうと必死でした。

会話の言葉をどのように受け入れれば良いか、「yes!」は本当にyesなのか、あるいはNoなのか、「会えてよかった」は本当にそうなのか、あるいは会いたくはなかったとの意思表示なのか、細かなことを言い始めるときりがありませんが、診療の中でも真意はどこにあるのか、そしてこちらの伝えたい事は伝えられているのかを常に気にしながらの会話を繰り返していました。

その頃の院長からは、君の言葉は伝わっていないし、相手の言葉も君は理解できていないということを言われ続けていました。例えばどの場面でしょうかと質問しても、回答はなく、具体的な場面のないダメ出しと改善点についての評価のない毎日を送っていました。

しかしウメちゃんの飼主さんはそのような僕と真剣に向き合ってくださいました。
まだ若い獣医師というのはどこか頼りなさがあるはずですが、大切なウメちゃんの治療を任せていただけました。

ご家庭の中で、犬がいたら楽しいだろう。
そんな迎え方ではなく、どうしても必要な存在で、かけがいのない命との向き合い方。そんな中、迎えられたのがウメちゃんでした。

そして、迎えられてからすぐにウメちゃんの病気が発覚します。
診断が難しいのですが、ジステンパーウイルス感染症でした。
ウイルスの感染症には診断が用意なものと、困難なものがあります。
ジステンパーウイルス感染症は、地域によっては今でもよく見られ、またある地域では、そんな病気は過去のものであるともされます。

診断にいたる詳細は割愛しますが、ペア血清と呼ばれるもので抗体検査を行います。(何のことやらという、専門用語ばかりですが)

症状と検査結果から診断は確定的でした。
いろいろな思いの中、大切に迎えられた小さな子犬が感染症。
このことを冷静に受け止めるには時間がかかります。

生死に係る病気である事は獣医師であれば当然のこととして知っています。
特にそのときのウメちゃんのように、生後数カ月の子犬であれば助かる確率の方が少ないものです。

僕の必死さに対して、まるで他人事(他犬事)のように順調に回復してくれて、もしかすると、僕が何もしなくてもこの子は治ったのではないだろうかと思わせるような、そんな屈託のないかわいい瞳でいつもキョトンとしている姿が印象的でした。

さすがは大型犬。
はじめの成長がやや遅かったのですが、その後どんどん成長し、立派な成犬になりました。

その中で唯一厳しい闘病の傷跡がありました。
それは歯です。
小さな時にジステンパーウイルス感染症にかかると、歯を形成するエナメル質というツルツルとした表面が正しく作られません。
よくエナメル質形成不全と呼ばれますが、ウメちゃんの歯にもまさにこの症状が見られていました。
この歯は生涯このままだったはずです。
幼い頃の闘病を時々思い出させるかのように。

ウメちゃんと飼主さんにはいろいろなことを教えていただきました。
新参者で頼りない僕を受け入れていただき、真摯な向き合い方をすれば理解していただける。そのようなこの土地の寛容な部分もみせていただけました。

それから数年後、僕の東京への移動が決まり、ウメちゃんと離れることになりました。
幸いにして、治療を継続中の病気はなく、元気な状態でのお別れでした。

飼主さんからは折に触れてご連絡をいただき、成長の様子、ときどきお腹を壊したり、などなど、離れていて直接的には何もできない僕にも病める時も健やかなるときもその様子を教えていただけました。

最近もあまり元気ではない様子も教えていただいたばかりでした。
そして突然の訃報。
お別れしてから12年ほど。
結局は一度も会う事はできませんでした。

懸命にという言葉はウメちゃんにはあいません。
おそらくはまるで何事もなかったのように、とてもマイペースな自然体でその生涯を駆け抜けていったに違いありません。

ご家族の皆様を巻き込めるだけ巻き込んで、自分をご家族の皆さんの生活の中心に常に持っていって。

それをキョトンとした目でまるであたりまえかのようにやっていたのがウメちゃんでした。

突然のお別れはご家族の方にどれほど辛いものかが想像できます。
しかし、同時に、ウメちゃんとの生活がどれほど充実していたかも想像できます。
お電話の向こうの飼主さんは、ときに涙をこらえながら、ときに笑い声で、僕には大仕事を楽しみながら終えられた、そのような印象にみえました。

間違いなく、新しいワンコをお迎えになるはずです。
しかししばらくは一息つかれて、よいご縁を待たれながら。

ブログでご紹介できるのはほんの一部です。
今回の文章がその要約でも概要でもありません。
今ウメちゃんとの時間について思う事をほんの少し記してみました。